専門技術 : 材料力学、破壊力学、弾性論、解析力学、有限要素法
         機械技術者育成教育、CAEスキル教育、3次元CADスキル教育
         設計論、設計のフロントローディング・コンカレントエンジニアリング・トップダウン設計
         小集団活動指導、QC七つ道具、新QC七つ道具

特に、近年、ひとりで何でもやらなければならなくなった設計者にとっての、

   ”品質確保のために最低限度必要な、
       材料力学 ・ CAE ・ 3次元CAD などの知識やスキル”

が何であるかを考え続け、三菱電機在職時代の社内教育に反映して、効果をあげ、
実績を積んできました。
経歴
大学時代は、破壊力学と有限要素法について研究。 
卒業論文は「回転円板の破壊強度に関する研究」。 
[注1]
[注2]
1974年 三菱電機梶@入社。 [注3]
  配属は、先端技術総合研究所(元中央研究所)。 
   ・主として当時大型化しつつあったタービン発電機の回転子の強度の研究に従事。 
   ・回転円板の破壊試験、基本的な材料試験などを通じて、材料力学の実務を習得。
   ・一方で、弾塑性有限要素法プログラムの開発を通じて、数値解析の分野も習得。
[注4]
[注5]

1985年 フランスのCNRSに1年間留学。  [注6]
   ・アルミナの単結晶の高温変形(クリープ)の研究に従事。
1987年 三菱電機梶@通信機製作所に転勤
   ・大型望遠鏡「すばる」の開発に従事。構造の具体化を担当。
   ・大学時代に教わった設計論どおりの開発工程が行われていることに感激!
   ・1990年からは、所内の機械設計者200人を対象としたCAE・CAD推進を任される。
[注7]
1994年  三菱電機梶@人材開発センターに転勤。 [注8]
   ・社内教育推進(主として機械技術担当)
   ・3次元CAD、CAEの普及推進
[注9]
2010年 三菱電機梶@人材開発センター 定年退職
TMEC技術士事務所開設
  ─────────────────────────────────────────

注 1 宮本博教授の研究室。
材料力学担当の同教授の講義では、最初から弾性論を教えられたのだが、私は3連続"不可"を食らった。
そんな学生が卒論で宮本研を第一志望したので、宮本教授から「キミは本気か?!」と何度も意思確認された。

注 2 吉川弘之助教授(当時、後に総長)の設計論も履修したが、当時はその有難味がサッパリわからなかった。。。
しかし、退職前の15年間は、その設計論をバックに、社内技術者教育を展開するに至った!

注 3 入社の動機は、親戚中が三菱系列だったので、あまり深く考えていなかった。
入社面接で「特技は何ですか?」と尋ねられて、とっさに「酒を飲むことです!」と答え、大笑いされた。

注 4 これも、後の上司が大学時代の研究テーマを見て、「君は即戦力になれるからおいで!」と言ってくれたから。
”即戦力”という言葉に惹かれ、二つ返事で承諾。
仕事が一段落ついたら関東に異動させてもらうつもりで、東京から兵庫に引っ越し、独身寮に入ったのだが、、、
以後退職までの36年間、ずっと関西に在住することになろうとは。。。

注 5 発電機軸材から切り出した円板を回転させ、破壊させる試験に従事。
当時、新入社員は1年間遊ばせてくれたものだが、、、
私は、”即戦力”の名の下、最初からこき使われるハメに。。。
職場に配属された最初から残業・残業、、、
夏の暑い盛りに汗まみれ・泥まみれ、、、
新入社員なので、遠慮なくコキ使われた!
当時、寮の風呂は夜10時になると湯が出なくなった。
その時刻よりも遅く帰り着くと、どんなミジメなことになるかは、ご想像にお任せします。
”即戦力”という言葉の意味を、イヤというほど噛み締め、かつてこの言葉に抱いた憧れは、木っ端微塵に。。。
ちなみに、同期の連中は夕方5時になると寮に帰ってメシ食って一緒に遊びに行くのだったが、私には全く無縁の世界でした。

大学では材料力学の劣等性だった私が、この苦境を克服して(笑)、社内での材料力学解析分野での第一人者となる。

注 6 パリの南西郊外Bellevueにある、Laboratoire de Physique des Materiaux に1年間所属。
後に、「すばる」の開発チームに参画することになった私は、この時代の研究成果は、専門的には役立たなかった。
しかし、クリープについて、現在エラソウなことが言えるのは、この時期の研究のおかげ。
エラソウなこと、と言えば、フランス語が話せ、フランス人との交流を優先したために、フランス料理・ワイン・香水などについては、メチャメチャ詳しくなった。
フランス流のマナーについても、女性秘書たちが面白がって、女性への挨拶の仕方(=ほっぺにチュッチュッ)などを叩き込んでくれた。

注 7 この時期に、3次元CADでは、CATIA-V3・Pro/ENGINEER-R7、2次元CADでは、CADAMに触れる。
CAEツールとしては、入出力にI-deas、ソルバーにNASTRANを使用。
これらのツールで、設計CAEに取り組んだのだが、、、所詮、設計者が使いこなせるツールではなく、結果的に成果は出ずに。

注 8 ここで、過去に培った、材料力学・数値解析・設計論などの技術が、すべて役立つことに!

注 9 3次元CAD教育は、1996年から、設計CAEの導入は、1997年から。
3次元CADツールは、Pro/ENGINNERとI-deas(後にPro/ENGINEERに一本化)
CAEツールは、ANSYS、I-deas(後にANSYSに一本化)
1996年に、DesignSpaceに出会い、一目惚れ。
「これぞ求めていた設計者向けCAEツールだ!」と感じた。
自社・他社のCAEの専任者仲間が、DesignSpaceを、「これができない、あれができない」という視点で見ていたのに対して、
  私は、「これができる、あれもできる!」という視点で見ていたのである。
結果的に、DesignSpaceは設計者に歓迎され、自然発生的に社内に普及していき、導入本数では国内一に!
  しかし、ベンダーさんは私に対して”感謝の言葉”しかくれなかった。。。
もし、Pro/ENGINEERとDesignSpaceが5年前に同じレベルのものが存在していたら、私の設計CAEへの取り組みは挫折せずに済んだかも??